各地の県令を歴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:47 UTC 版)
明治6年(1874年)7月佐賀県権令に任命され、同地で治績を挙げる。中央に召還され工部省出仕となることが決まると後任の佐賀県権令に弟の岩村高俊を推挙し、これが許される。 明治9年(1876年)、山口地方裁判所長を経て明治10年(1877年)には西南戦争が起こり、通俊は鹿児島県令として赴任した。通俊はこの時、敵将である西郷隆盛の遺体を軍部の了解を得て鹿児島浄光明寺に丁重に葬ったという。 鹿児島県令としても治績を挙げた通俊は元老院議官・会計検査院長に昇り、明治15年(1882年)には沖縄県令となる。
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