又新舎の創立
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1874年1月15日、就学児童の増加により前述の私学校明教館は北御門村の五劫院に移転し「又新舎(ゆうしんしゃ)」と名前を改めて開校した。正式には「第一番小学」と称し、学制発布後に奈良町で最初に開校した小学校となった。また、東之坂の光蓮寺には「精勤舎」と呼ばれる私学校があり、奈良市立椿井小学校の前身にあたる私学校の分校となっていたが、精勤舎は又新舎の創立と同時に又新舎の分校となった。 創立時の在校生は本校192人、分校18人であった。授業料は当初月額 6 銭 2 厘 5 毛であったが、義務教育を行う観点から1875年には無料となっている。 1875年7月、前年に半田横町で開校した小学校が廃校になり、又新舎に統合された。就学児童の増加と相まって創立から1年あまりで教場の狭さが目立つようになった。 又新舎の創立当時、小学校の正式名称は「第一番小学」のように番号で呼称されたが、後に名称は自由になり、奈良町では少なくとも1877年ごろまでに小学校の正式名称が地名を冠した校名に改称されている。又新舎は「北御門小学校(きたみかど―)」、精勤舎は「東之坂小学校」と呼ばれるようになった。
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