原中勝征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 15:41 UTC 版)
原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2025年7月11日)は、日本の医師[1]。医学博士(東京大学、1975年)。医療法人杏仁会大圃病院[2](きょうじんかい おおはたびょういん)会長[3]。第18代日本医師会会長[1][4][5]。
人物
1940年、茨城県生まれ[4]。福島県浪江町出身[6]。『日本医師会 平成三十年の歩み』にある経歴中で茨城県生まれと記載されているが[4]、『浪江町くらしのガイドブック』には郷土出身者の一人として掲載[6]されている。
1966年に日本大学医学部卒業[4][5]。1967年に東京大学医学部に入局[4]。1980年に東京大学医科学研究所内科医局長[4]、1990年に東京大学助教授に就任[4][5]。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げる[5]。
1991年に医療法人杏仁会大圃病院に転職[5]。2011年に同院理事長・院長に就任[4]。2000年に茨城県医師会副会長に就任[4]、2004年に茨城県医師会会長に就任[4]。2010年から2012年まで、第18代日本医師会会長を務める[4]。
2009年の自由民主党政権から民主党政権への政権交代時に「政権交代の立役者」とも言われ、2012年までの民主党政権のブレーンとなった[8]。
2025年7月11日死去。85歳没[9]。
表彰・受章歴
経歴
出典:医療法人杏仁会 大圃病院「病院のご案内(ごあいさつ)- 会長 原中勝征(はらなか かつゆき)」[3]
- 日本大学医学部卒業
- 東京大学医科学研究所 内科医局員
- 東京大学医学博士
- 日本大学医学部客員助教授
- アメリカ・スローンケタリング癌研究所 出張
- 東京大学医科学研究所 内科医局長
- 科学技術庁長官 注目発明賞
- アメリカ・バイオセラピー癌研究所 学術顧問
- 西ドイツ・ガンセンター国際学会 委員
- アメリカ・カリフォルニア大学国際シンポジウム 委員
- 中華人民共和国癌基金財団 名誉会員
- 東京大学内科助教授
- 医療法人杏仁会 大圃病院 理事長・院長
- 社会福祉法人筑圃苑 介護老人福祉施設筑圃苑 理事長
- 茨城県医師会会長
- 日本医師会会長
- 医療法人杏仁会 大圃病院 会長
著書
- 『TNF : 腫瘍 壊死 因子』日本医事新報社、1984年
- 『医療再生命を守る医師会へ』共同通信社、2012年、ISBN 978-4-7641-0645-1
- 『私たちはなぜTPPに反対するのか』祥伝社、2014年、ISBN 978-4-396-44021-3
- 『国民を幸せにする政治 医療現場からの訴え』講談社エディトリアル、2022年、ISBN 978-4-86677-116-8
脚注
- ^ a b 「原中勝征」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、コトバンク。2025年7月21日閲覧。
- ^ 1949年、大圃源左右衛門が医院を開業。1982年、医療法人杏仁会大圃病院に改称。参照:「病院のご案内(沿革)」医療法人杏仁会大圃病院。2025年7月21日閲覧。
- ^ a b 病院のご案内(ごあいさつ) 医療法人杏仁会 大圃病院、2025年7月19日・21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “日本医師会 平成三十年の歩み” (PDF). 公益社団法人日本医師会. p. 298 (2020年3月1日). 2022年1月24日閲覧。
- ^ a b c d e 上昌広「日本医師会会長選挙を振り返る」『日経メディカル』2010年5月3日。2025年7月21日閲覧。
- ^ a b “浪江町くらしのガイドブック”. 2018年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月21日閲覧。
- ^ “役員名簿(平成22年8月1日現在)”. 日本会議 (2010年8月1日). 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ 聞き手・保坂千裕「「今一番不幸なのは国民。野党は何が国民の幸せになるか、答えを」原中勝征元日本医師会長が語る 民主党政権ブレーン」『東京新聞』2023年2月9日。2025年7月21日閲覧。
- ^ “原中勝征・元日医会長が死去、85歳”. MEDIFAX web(メディファクス ウェブ) - 医療の総合情報サイト (2025年7月23日). 2025年7月24日閲覧。
- ^ “平成29年春の叙勲 旭日重光章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2017年4月29日). 2023年1月26日閲覧。 アーカイブ 2022年3月1日 - ウェイバックマシン
関連項目
- 原中勝征のページへのリンク