千野冝時とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 千野冝時の意味・解説 

千野冝時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 07:00 UTC 版)

千野 冝時(ちの よしとき、1923年大正12年)3月18日 - 2004年平成16年)8月18日)は、日本実業家である[1]大和証券および日本証券業協会の会長を務めた[1][2]

経歴・人物

東京府(現在の東京都)の生まれ[1][2]慶應義塾大学卒業後[1]1946年昭和21年)に大和証券に入社した[1][2]。この頃に早くも国際業務に専念し[1]、同社の理論家として有名となる[1]。その後は副社長を務め1980年(昭和55年)には副会長となり[1][2]1982年(昭和57年)には会長職を務め以後1991年(平成3年)までその職にあたった[1][2]

会長に就任後は理論株価(PER(株価収益率)×予想EPS(1株あたり当期純利益))を日本で初導入する事業やユーロ円債の第1号の発行に携わる等[1]証券市場の国際化に貢献する[1]1985年(昭和60年)には日本証券業協会の会長に就任し1987年(昭和62年)まで大和証券会長と兼務で務めた[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 千野冝時”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 千野ヨシ時氏死去/元大和証券会長|全国ニュース」『四国新聞』、2004-8‐25。2023年8月26日閲覧。
先代
渡辺省吾
日本証券業協会会長
1985年 - 1987年
次代
田淵節也



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  千野冝時のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「千野冝時」の関連用語

1
38% |||||

千野冝時のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



千野冝時のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの千野冝時 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS