北越戦争敗戦後の家臣団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 21:34 UTC 版)
「越後長岡藩の家臣団」の記事における「北越戦争敗戦後の家臣団」の解説
北越戦争では家老稲垣平助が、勤皇派(恭順派)20人の名を書き奏上、その内、5人が戦争直前に逃亡・出奔しているが、戦後に帰参している。 北越戦争で敗戦後、長岡藩は大減封を受けたが、先法以下の上級家臣では柿本、今泉、雨宮、深津、倉沢、倉沢、山口、権大参事に抜擢された赤川(大川)氏と、家令に抜擢された松下氏が170石を給付された。その他、武田氏(武三右衛門家の本末)2家には130石と、九里氏には150石が給付されている。
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