前方後円墳の築造の終了と方墳の築造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 21:47 UTC 版)
「祇園・長須賀古墳群」の記事における「前方後円墳の築造の終了と方墳の築造」の解説
金鈴塚古墳と丸山古墳を最後に祇園・長須賀古墳群では前方後円墳の築造は終了し、続いて7世紀初頭から前半頃、金鈴塚古墳の南側に一辺約44メートルの方墳である松面古墳が造営された。松面古墳は二重の周溝を持ち、周溝の外周は一辺80~85メートルに達する大型の方墳であった。同じ時期、龍角寺岩屋古墳、駄ノ塚古墳、内裏塚古墳群でも割見塚古墳といった規模の大きい方墳が房総各地で造営されている。松面古墳から発掘された須恵器などの副葬品の内容から、松面古墳は駄ノ塚古墳と同時期ないしはやや先行する、7世紀前半の中でも早い時期に造営されたと考えられている。また出土品の内容から、金鈴塚古墳とともに松面古墳もかなり長期間にわたって追葬が行われた可能性が高いとされる。 松面古墳の築造後、祇園・長須賀古墳群で築造された古墳についてははっきりしない。明治時代に出土したと伝えられる出土品の内容から、祇園・長須賀古墳群の中でも主要な古墳の一つであった可能性が高いとされる塚の越古墳が、松面古墳に続く方墳であった可能性が指摘されている。また、稲荷塚古墳を前方後円墳築造終了後に造られたとする説もある。
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