初期から大改築まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 08:26 UTC 版)
「サンタンブロージョ教会」の記事における「初期から大改築まで」の解説
本項の聖堂が建てられる以前、この場所にはバッカス神殿の遺構があった。 献堂は386年で、時のミラノ司教であったアンブロジウスによって行われた。この時点では聖ジェルバシウスとプロタシウス(イタリア語版)へ捧げられた聖堂であったが、397年にアンブロジウスが没すると2聖人のそばに葬られることになり、聖堂は人々から「サンタンブロージョ」として呼ばれるようになった。5-8世紀に渡ってはゲルマン民族の大移動の影響を受け、ミラノは支配と略奪とを被り衰退するが、8世紀末にランゴバルドに代わりフランクのシャルルマーニュの統治下で再興を始める。784年、シャルルマーニュ治下においてサンタンブロージョ教会にはベネディクト会の修道院と教会参事会を併設し、共同管理下におかれることになった。
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