初期、作曲と演奏旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/19 08:34 UTC 版)
「ヨハン・シュトラウス3世」の記事における「初期、作曲と演奏旅行」の解説
20世紀初頭まで、ヨハン3世は精力的に作曲活動に励んだ。1900年2月12日、ブダペストで自作のワルツ『ウィーンからの挨拶』(作品24)とワルツ『世界は勇者のもの』(作品25)を振って、指揮者としてもデビューした。ワルツ『世界は勇者のもの』はかなりの人気が出て、ヨハン3世の代表作となった。同年、オーストリアやドイツを6ヶ月にわたって演奏旅行した。この演奏旅行によって、ワルツ『ウンター・デン・リンデン』(作品30)などが誕生した。 1902年、ルーマニア、ブルガリア、オスマン帝国(アブデュルハミト2世に御前演奏)へ演奏旅行に出掛けた。この際、ソフィアの興行師が5000フランを持って行方をくらまし、ヨハン3世は損害をこうむった。同年、イギリス国王エドワード7世の戴冠式のため、楽団を引き連れてロンドンに渡り、コンサートと夕食会に出る契約をとった。『戴冠式のワルツ』(作品40)を作曲して国王夫妻に献呈したが、国王の急病により戴冠式は延期され、式典参加のキャンセルのために大赤字を出してしまった。この『戴冠式のワルツ』を最後にヨハン3世は作曲をやめ、指揮のほうに活動の場を移していった。
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