冠位の普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 07:11 UTC 版)
十二階制では地方豪族で冠位を授けられた者は少なかったようだが、この頃から冠位を持つ者が多くなったようである。しかしまだ地方豪族すべてに冠位が行き渡るには至らなかった。「他田日奉部神護解」、『和気氏系図』、『粟鹿大明神元記』のような地方豪族の古系図類では、孝徳天皇の頃から冠位が注記される人が現われる。しかし『阿蘇氏系図』、『利波臣系図』にみる地方豪族ではなお冠位が記されず、大宝令のときになって位階を帯びたように見える。 また、この頃から冠位がより官僚的になり、官位相当や位の昇進、選考といった後の律令位階制度の原型が形成されたのではないかと考える学者もいる。出土木簡最古の冠位は飛鳥京跡からのもので、「大花下」、「小山上」、「小乙下階」、「大乙下階」といった十九階制の冠位が記されていた。
※この「冠位の普及」の解説は、「冠位十九階」の解説の一部です。
「冠位の普及」を含む「冠位十九階」の記事については、「冠位十九階」の概要を参照ください。
- 冠位の普及のページへのリンク