写真の公開、伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:36 UTC 版)
当時『レボルシオン』紙の写真記者であったコルダは、この日撮影した全ての写真を編集部に送ったが、ゲバラの写真は掲載されなかった。しかしコルダ自身はこれを非常に気に入り、『英雄的ゲリラ』と題を付けて自身のスタジオ内に貼っていた。 以後長らくこの写真が一般に公開されることはなかったが、1967年、イタリアの出版王であり、共産主義革命家でもあったジャンジャコモ・フェルトリネッリが、キューバ共産党中央委員アイデ・サンタマリアの紹介でコルダ・スタジオを訪れる。ゲバラの写真を求めてやって来たものであり、フェルトリネッリはスタジオ内に貼られていた『英雄的ゲリラ』を一目見て気に入り、2枚の焼き増し写真を譲り受けてイタリアに帰国した。その数か月後、10月9日にチェ・ゲバラ自身がボリビアでのゲリラ活動中、ボリビア政府軍により捕縛・処刑されたことが発表されると、フェルトリネッリは譲り受けた写真をポスター化し、一般に向けて販売した。また、キューバ政府ではその死後直ちに写真を肖像化し、その追悼集会においてはフィデル・カストロが巨大な遺影の前で演説を行った。これらにより、『英雄的ゲリラ』は初めて世間の目に触れることとなった。
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