再び中国、大阪へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 08:42 UTC 版)
「チャニング・ウィリアムズ」の記事における「再び中国、大阪へ」の解説
サンフランシスコを出港し横浜を経由して上海に到着したウィリアムズは、休む暇もなく中国各地を視察した。そんなとき、日本で大政奉還が行われたことを聞きつけたため、大阪に居を移すことにし、1869年に大阪市の川口・与力町(川口居留地近く)に建物を得、小礼拝堂と英語塾(のちの大阪・英和学舎、立教大学のルーツの一つ)を開いた。1880年、後に主教を後任する米国聖公会主教のジョン・マキムが来日し、川口居留地の照暗女学校(現・平安女学院)のチャプレンになる。
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