再び三河国平定へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:43 UTC 版)
1564年(永禄7年)、光忠と忠次は吉田城攻めを家康に進言、二連木城の戸田重貞を説いて味方にするなどして活躍した。この功により伊奈城主の忠次には五千貫の地が与えられた。 忠次は酒井忠次と陣を同じくして、姉川・長篠、高天神城と戦い続け、戦功を重ねた。しかし、忠次には子がなかったため、同陣の酒井忠次の次男を養子で迎え、名を康俊とした。
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