円仁の入定窟とは? わかりやすく解説

円仁の入定窟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:55 UTC 版)

立石寺」の記事における「円仁の入定窟」の解説

円仁慈覚大師)の遺骸安置する伝え入定窟(にゅうじょうくつ)がある。史実としては、円仁貞観6年864年)、比叡山没しており、立石寺実際に遺骸移されたという確証はないが、入定の上立てられ天養元年1144年)の『如法経所碑』が現存し、そこには「大師護持仰いで法華経を埋納する」という趣旨のことが書かれていて、この時代12世紀)、既に円仁がこの地で入定しているとする伝承成立していたことがわかる。昭和23年1948年)から翌年にかけて入定窟の学術調査実施され金箔押し木棺人骨5体分、円仁像と思われる頭部のみの木彫像などが発見された。この木彫像の頭部については、目鼻立ちなどの特色から円仁像であることは認められ作風から9世紀頃の制作であるとされる

※この「円仁の入定窟」の解説は、「立石寺」の解説の一部です。
「円仁の入定窟」を含む「立石寺」の記事については、「立石寺」の概要を参照ください。

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