内藤吐天とは? わかりやすく解説

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内藤吐天

読み方ないとう とてん

俳人薬学博士明治33年大垣生。名多喜六。東大医)卒。乙字、素琴に師事。「東炎」同人「早厥」主宰。詩は日夏耿之助師事詩集翻訳など多し昭和51年(1976)歿。

内藤吐天

内藤吐天の俳句

氷菓の峯凹ます少女の堅き舌端
 

内藤吐天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 14:43 UTC 版)

内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 1976年5月12日)は、岐阜県出身の俳人薬学者。本名は多喜夫。別名に龍膽寺旻、別号に萱雨亭(けんうてい)がある。

生涯

岐阜県大垣市生まれ。東京帝国大学薬学科卒。のち名古屋市立大学薬学部長、名城大学薬学部教授などを歴任。岡山六高時代より志田素琴大須賀乙字に俳句を学び、「獺祭」「草上」「東炎」などに関わる。1946年に「早蕨」を創刊・主宰。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」など、格調の高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風になった。句集に『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』など。また詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説詩集翻訳もある。1976年5月12日死去、76歳。墓所は雑司ヶ谷霊園

参考文献




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