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内田敏雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 13:07 UTC 版)

内田 敏雄
うちだ としお
生年月日 1900年11月1日
没年月日 没年不詳
出身校 京都帝国大学法学部政治経済学科卒業
前職 南洋拓殖参事
所属政党 公正会
称号 正四位
配偶者 内田敏子
親族 養祖父・内田正敏(貴族院議員)

在任期間 1946年5月11日 - 1947年5月2日
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内田 敏雄(うちだ としお、1900年明治33年〉11月1日[1] - 没年不詳)は、昭和期の政治家華族貴族院男爵議員。位階は正四位[2]

経歴

海軍士官内田正敏の養子・栄(矢部善作の二男)の長男として生まれる[1][3]。養曽父・正敏の死去に伴い、1922年(大正11年)6月2日、男爵を襲爵した[1][3]

1926年(大正15年)4月、京都帝国大学法学部政治経済学科を卒業[3][4][5]1927年(昭和2年)東京市社会局嘱託となる[4]。その後、南洋拓殖人事課長、同参事などを務めた[3][4]

1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[4]

親族

  • 妻:敏子(時国甫太郎の六女)[1]

脚注

  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成 上巻』248頁。
  2. ^ 日本国・国会全議員名鑑 上 499コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』ウ53頁。
  4. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』65頁。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正15年 至昭和2年』京都帝国大学、1927年、481頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  7. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
内田正敏
男爵
内田(正敏)家第2代
1922年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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