六郷用水(次太夫堀)の開削等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 14:45 UTC 版)
「入間川 (多摩川水系)」の記事における「六郷用水(次太夫堀)の開削等」の解説
江戸時代の六郷用水(俗称:次太夫堀/多摩川を水源としていた用水路)の開削以前は、野川が現在より西の狛江市中心部を流れていて、当時現在の野川との合流点より下流の入間川は現在の野川の流路とほぼ同じ流路をとって、現在の世田谷区玉川付近で直接多摩川に合流していたと考えられる。しかし六郷用水の開削により、野川や入間川の水はほぼ全てが用水に取り入れられるようになった。しかも、旧入間川の流路の内、世田谷区喜多見付近はほとんどの区間が用水の水路に転用されたと考えられている。そして、現在の世田谷区大蔵付近で用水の水を旧入間川下流に一部放流し、その放水路(現在の世田谷区大蔵付近〜同区玉川付近)その部分をも野川と称した。他詳しくは六郷用水を参照。
※この「六郷用水(次太夫堀)の開削等」の解説は、「入間川 (多摩川水系)」の解説の一部です。
「六郷用水(次太夫堀)の開削等」を含む「入間川 (多摩川水系)」の記事については、「入間川 (多摩川水系)」の概要を参照ください。
- 六郷用水の開削等のページへのリンク