六角堂、六角堂広場単独時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 09:20 UTC 版)
「六角堂広場」の記事における「六角堂、六角堂広場単独時代」の解説
円形イベント広場を中心として無料休憩スペース、多目的トイレ、市民ギャラリー、サテライトスタジオ等があった。また商業施設「大陸食ロード」には、カフェやラーメン、居酒屋など食事ができる店舗があった。 名称の由来は、かつてこの広場の名前の由来となった六角堂である。太平洋戦争後はこの地(もしくは「六ツ門アーケード」か)に置かれた街頭テレビに人が群がるなど町のシンボル広場であった。 久留米市は火災により空き地となったため[いつ?]、土地を買収し、新たな「六角堂広場」を整備した。 その後,「久留米ブルースフェスティバル」をはじめ、多くの音楽祭が開かれたり、「ラーメンフェスタin久留米」、「久留米焼きとり 日本一フェスタ」、「B1グランプリ」など、多くのイベントが開催された。 新たな再開発計画が立てられ、久留米シティプラザの建設がスタート、これに伴い2013年3月末日をもって旧・六角堂広場が閉鎖された。
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