六甲丸 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 03:50 UTC 版)
| 六甲丸(初代) | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 | |
| 所有者 | 関西汽船(1969-1990) |
| 運用者 | 関西汽船(1969-1990) |
| 建造所 | 日本鋼管清水造船所 |
| 母港 | 大阪 |
| 姉妹船 | 生駒丸 (初代) |
| IMO番号 | 6925599 |
| 改名 | 六甲丸(1969-1990) KING CRUISER(1990-1997) |
| 経歴 | |
| 進水 | 1969年 |
| 竣工 | 1969年 |
| 就航 | 1969年11月 |
| 運航終了 | 1990年 |
| 最後 | 1997年5月4日、プーケット沖で沈没 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 2,822 トン |
| 全長 | 83.0 m |
| 幅 | 25.0 m |
| 深さ | 8.0 m |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 主機関 | ダイハツ 8DSM26 4基 |
| 推進器 | 可変ピッチプロペラ 2軸 |
| 出力 | (就航時)6,400 PS (換装後)10,000 PS |
| 航海速力 | 18.5ノット |
| 旅客定員 | 730名 |
六甲丸(ろっこうまる)は、関西汽船が運航していたフェリー。本項目では1969年に就航した初代を取り扱う。
概要
1969年11月、ジャンボフェリーの運行開始にあたって、同型船の生駒丸 (初代)とともに就航した。就航当時、日本最大級の双胴船であった。
1973年5月19日、四国中央フェリーボートのせとうちが播磨灘を航行中、機関室火災を起こして沈没した。付近を航行中だった本船は救援に駆けつけ、総員退船した乗員乗客を救助した[1]。
1990年、六甲丸 (2代)、生駒丸 (2代)の就航により、生駒丸(初代)とともに引退した。
その後、海外売船され、タイでKING CRUISERとして就航したが、1997年5月4日、プーケット沖のアンダマン海でサンゴ礁に衝突して沈没、乗客約800名は全員救助された。沈没地点は、アネモネリーフと呼ばれるダイビングスポットで、現在は沈船となった本船もダイビングスポットとなっている。
就航航路
阪神高松ジャンボフェリー
- 神戸港(東神戸フェリーセンター) - 高松港(高松東港)
- 加藤汽船との共同運航で、本船と同型船の生駒丸 (初代)、加藤汽船のりつりん (初代)こんぴら (初代)の4隻で1日10便、航海時間4時間10分で運航していた。
設計
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竣工時、主機は1,600PSのディーゼル機関4基だったが、出力がやや過小で延着対策のため、1978年に2,500PS×4基に換装された。
脚注
- ^ カーフェリー「せとうち」の火災による沈没事故に関する件. 第71回国会 交通安全対策特別委員会 第5号. 国立国会図書館. 15 June 1973. 2016年5月15日閲覧。
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