八戸を称す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 01:04 UTC 版)
守清の跡は甥の八戸政経(守清実弟・新田清政の子)が継いだ。根城南部家は南部政光が八戸に住んで以来、八戸侯とも呼ばれてはいたが、この政経以前は南部氏を名乗っていた。しかし政経以降は八戸氏を称するようになった。政経のあとは八戸信長・八戸治義・八戸義継と直系で続き、義継の跡は弟・八戸勝義が継いだ。しかし勝義には男子が無く、一族の新田行政の子・政義(政栄)が養子となった。政義は三戸南部信直に小田原征伐参陣を薦め、三戸城の留守居を勤めている。南部藩では家老を務めた。
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