全国への出荷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/22 05:48 UTC 版)
明治以降全国に進出し、太平洋戦争中の中断をはさんで昭和35年(1960年)には年間三百三十万反を生産、国内の絣生産の7割を占めた。当初は綿が主体であったが、次第にウール絣も生産されるようになった。生産工程の大半は家内工業で実施され、各家内工場を馬やトラックなどで製品を運搬するという非効率的な生産方法であったが、昭和50年代中頃までは、福山市芦田町では備後絣を生産する織機の音が聞える家庭が少なくなかった。藍染めなので虫や蛇を寄せ付けない効果があり、手紡ぎ糸の厚みのある綿生地なので、丈夫で保温性にも優れていた。
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