催事の目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 00:58 UTC 版)
ナチスがポツダムの日で望んだのは、ヒトラーをフリードリヒ大王、ビスマルク、ヒンデンブルクといった連綿と続くプロイセン=ドイツ史に組み込み、その一環として提示することであった。 ポツダムは明確な意図をもって会場に選ばれた。ポツダムは歴代プロイセン王が居城を置いた都市で、ドイツの過ぎし栄光の日々のシンボルであり、ナチ政権は自らをこれと結び付けようとしたのであった。3月21日となったのも、1871年の同日にドイツ帝国の第1回国会が開会したためである。この催事はこの直前に設立されたばかりの国民啓蒙・宣伝省を率いるヨーゼフ・ゲッベルスにとって初の大規模な演出となった。 大統領と首相が握手するシーンは見る者に対し、ヒトラーやナチスといっても、敬愛される国父ヒンデンブルクにはこうして臣従しているのだから、もうヒトラーは危険ではない、といった印象を与えることが意図されていた。このジェスチャーは、さらには戦争の英雄ヒンデンブルクと一兵卒ヒトラーの連続性をもシンボル化した。ヒトラーは今や国軍への責任をも引き受けたためである。アンドレ・フランソワ=ポンセはこの式典が右翼の同盟者を「欺き幻惑させ」、ヒトラーが彼らの忠実な雇人であると安心させるための「最後の目くらましの場」であったと評している。
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