偽帝姫の出現および病死説に対する異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/15 13:38 UTC 版)
「柔福帝姫」の記事における「偽帝姫の出現および病死説に対する異説」の解説
建炎4年(金の天会8年、1130年)、南宋に一人の女が突然現われ、柔福帝姫を自称した。女は容貌がよく似ていて、宮中の旧事もよく憶えており、洗衣院から逃亡したとも称した。高宗に福国長公主の位を授けられ、後に高世栄に降嫁した。 12年後(南宋の紹興12年、金の皇統2年、1142年)、金と南宋の間に紹興の和議が成立し、高宗の母・韋氏が高宗の許に還された。韋氏が「柔福帝姫は亡くなった」と明かしたことから、福国長公主は拷問を受けた末、自分は静善という尼僧であることを自供し、処刑された。病死したという(本物の)柔福帝姫には、和国長公主の位が追贈された。 しかしその後、南宋では様々な噂が絶えなかった。一説に、金で徐還の妻になったのが静善で、福国長公主は本物の柔福帝姫であったという。また一説に、韋氏は柔福帝姫と共に洗衣院に入り娼婦となった後、共に金の宗室完顔宗賢の側室とされ、その際に柔福帝姫に恨みを抱くようになり、殺害したという。 また、この福国長公主は奴婢の殺害を数多く行い、屋敷に埋めた。その後、屋敷は凶宅になった。 井上祐美子の短編小説「公主帰還」は、この事件を題材としている。
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