佐味宮守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 14:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動佐味 宮守(さみ の みやもり)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・越後守。
経歴
左大臣・橘諸兄の家司を務めていたが、天平勝宝7歳(755年)11月に主人の諸兄が酒席で聖武上皇に対して無礼な発言があり、謀反の気配がある旨を密告した。聖武上皇はこの密告に取り合わず、諸兄が咎められることはなかったが、諸兄はこの経緯を知り翌天平勝宝8歳(756年)2月に大臣を辞して政界を退いた[1]。天平勝宝9歳(757年)橘奈良麻呂の乱後、かつての密告を賞されて、従八位上から十一階昇進して従五位下に叙爵された。
天平宝字3年(759年)左京亮に任ぜられたのち、天平宝字7年(763年)安房守に転じると、神護景雲2年(768年)越後守と、淳仁朝から称徳朝にかけて地方官を務めた。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:従八位上
- 天平勝宝9歳(757年) 7月5日:従五位下
- 天平宝字3年(759年) 5月17日:左京亮
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:安房守
- 神護景雲2年(768年) 閏6月3日:越後守
脚注
- ^ 『続日本紀』天平宝字元年6月28日条
参考文献
関連項目
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