佐々木・六角・浅井・織田の時代とは? わかりやすく解説

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佐々木・六角・浅井・織田の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:51 UTC 版)

佐和山城」の記事における「佐々木・六角・浅井・織田の時代」の解説

佐和山城歴史は、鎌倉時代近江守護職佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ、建久年間(1190- 1198年)の文書にその名が見える。 六角政頼・久頼・高頼・氏綱・定頼の代の期間、六角氏犬上郡支配し応仁の乱の後、家臣小川左近大夫小川伯耆守城主として置いた。 しかし戦国時代後半に入ると、北近江における六角氏勢力衰退し、それにともなって新興勢力である浅井氏伸張した。佐和山城もその支配入って、城は磯野員吉に引き渡され小谷城支城1つとなった元亀年間には時の城主磯野員昌織田信長らと8ヶ月におよぶ戦闘繰り広げた。しかし、1571年元亀2年2月に員昌は降伏し、代わって織田氏家臣丹羽長秀入城浅井氏旧領朝倉氏旧領南部、すなわち、北近江六郡と若狭国支配拠点とした。

※この「佐々木・六角・浅井・織田の時代」の解説は、「佐和山城」の解説の一部です。
「佐々木・六角・浅井・織田の時代」を含む「佐和山城」の記事については、「佐和山城」の概要を参照ください。

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