伊覇按司三世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 14:35 UTC 版)
伊覇按司二世の嫡男で伊覇城第3代城主。安慶名大川按司一世は弟、護佐丸は次男、越来賢雄は弟・安慶名大川按司一世の四男・喜屋武按司一世の孫に当たる。 縁戚関係にあった第一尚氏が尚円王によるクーデターで滅んだ後、1511年から第二尚氏の尚真王の下で中央集権化が進められ、各地の豪族であった按司らに領地を離れ王府の首里へ上るよう命が下ると、三世は伊覇城を廃して首里へ移住した。 一方、安慶名大川按司一世の孫・三世はこの命令を拒否、1526年に尚真王率いる王府軍との戦争に発展し、当初は善戦したが、長期に及ぶ水攻め・兵糧攻めの前に力尽きて落城し、さらには家臣である大将平原の謀反によって最後は滅ぼされた。
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