伊覇按司一世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 14:35 UTC 版)
伊覇按司一世は、沖縄に実在した最初の王統を築いた英祖(英祖王統)の次男で、今帰仁城を拠点とした北山世主(北山王)の湧川王子の嫡流である今帰仁仲宗根若按司(今帰仁城主)の八男・今帰仁王子として誕生した。 父の今帰仁仲宗根若按司が、祖父・仲昔今帰仁按司(丘春)の従兄弟に当たる有力按司の怕尼芝(羽地按司)との戦いに敗れて命を落とすと、怕尼芝は代々北山世主(北山王)の王城であった今帰仁城を手に入れて「後北山王」を自称し、怕尼芝王統を興した。敗れた若按司の一族は各地へ離散し、今帰仁王子もまた父の亡骸を葬ると南へ落ち延び、名護・読谷山経由で越来間切(後の美里間切)嘉手苅村へ流れ着いた。 そこで力をつけた今帰仁王子は同地を治めていた美里大主に見出され、彼の娘・眞鶴金を妃に迎えて美里間切伊覇村に伊覇城(現在では伊波城と呼ばれている)を築き、初めて伊覇按司を名乗った。 一世は、初代琉球国王となる尚巴志が父の尚思紹から佐敷按司の座を継ぐ際には、その推挙人を務めた。また、後に一世の長女・眞鍋金は尚巴志の妃となり、尚忠(第3代国王)や尚泰久(第6代国王)らを産んだ。安慶名城(現在のうるま市安慶名)を拠点に沖縄本島中部一帯で権勢を誇った大按司の安慶名大川按司一世は五男にあたる。
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