井上正晴 (旗本)とは? わかりやすく解説

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井上正晴 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 23:38 UTC 版)

井上 正晴(いのうえ まさはる、寛文4年(1664年) - 元文元年3月29日1736年5月9日))は、日本江戸時代前期から中期の旗本通称は伝左衛門、織部、頼母。官位従五位下、讃岐守、越中守。

略歴

常陸笠間藩分家の旗本・井上正義(正昭、横須賀藩主・井上正就の次男)の次男として生まれた。母は丹波園部藩主・小出吉親の娘。

天和3年(1683年)、徳川綱吉御目見した。

貞享3年(1686年)、父正義の死に伴い、遺領の常陸国筑波郡5,000石を相続した。後に所領の一部を筑波郡から同国内真壁郡新治郡に移された。

職歴は元禄8年(1695年)に定火消宝永2年(1705年)に小姓組番頭正徳元年(1711年)に書院番頭享保7年(1722年)に辞職した。

元文元年(1736年)、73歳で死去した。墓所は丸山(現東京都文京区千石)の浄心寺。家督は養子の正房が継いだ。


家族

兄に井上正員がいたが、貞享元年(1684年)に父に先立って死去した(享年22)。父の井上正義(正昭)と兄の正員の墓所は井上家の菩提寺ではなく、板橋の教徳寺(現・板橋区西台の京徳観音堂)に存在する。

正員の子の正房は後に、正晴の養子となって家督を相続した。


妻は上総勝浦藩主・植村忠朝の娘。

子女は実子三人、養子二人がいる。

  • 長男:井上正富。笠間藩主・井上正岑の養子となるが、廃嫡された。一男一女があり、娘は正晴の養女となり、子正朝は叔父正房の養子となった。
  • 次男:井上正矩下妻藩主・井上正長の養子となるが、早世した。
  • 三男[注釈 1]:井上正房。実は正員の子。正晴の養子となり、家督を継いだ。
  • 四男[注釈 1]:井上正美。兄正房の養子となるが、早世した。
  • 長女:実は正富の娘。旗本・成瀬正倫に嫁いだ。


注釈

  1. ^ a b 正美は三番目の実子だが、『寛政重修諸家譜』では四男とする。養子の正房を三男と数えるため。

参考文献




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