五十嵐農場の争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:37 UTC 版)
五十嵐農場(東中)の土地売却をめぐっては、当時急激に増加しつつあった小作争議との関わりで社会の注目を集めることになった。この農場は明治40年(1907年)に中島農場から所有権が移動したもので、実質的な所有者は札幌の金貸し業・五十嵐であった。『村勢調査基楚』には次のような大正元年(1912年)の報告がある。 「小作者ヲ虐グルノ傾ニシテ貪欲停止スルヲ知ラズ。納税ノ如キ毎時、再三ノ通知ヲ受クルニ非ラザレバ納入ヲ欠キ、既ニ今期ニ於テモ不動産差押ノ通知ヲ受ケ始メテ叩頭除謝納入スルノ□態ニシテ所謂高利貸根性ヲ持続シ(以下略)。」 役場文書とは思えない厳しい口調の農場主批判である。
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