二度目の上京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/05 10:04 UTC 版)
二千円の借金を元手に、近文アイヌは四十五万坪の土地を開墾し終えた。約束を果たした天川らは、道庁へ給与地の下付を求めに札幌へ足を運ぶが、門前払いされる。1902年(明治35年)、北海道土人教育会(二条基弘会頭)で「天川恵三郎が近文アイヌの名義で二千円の借金をして私用した、処分する。」という話があった、との新聞報道を目にした天川は、たまらず二度目の上京をした。二条のもとへ抗議に赴いた天川は、北海道土人教育会の臨時会への出席を認められる。臨時会にて、新聞報道は偽りであることを説明し、給与地の下付を求める天川の訴えが認められ、天川は満足して浜益村へ帰郷した。
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