二つの桃井氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:56 UTC 版)
平安後期、上野国群馬郡桃井郷を在地領主化した物射系桃井氏(物部氏)が支配したが、鎌倉初期、和田合戦、承久の乱で没落し、足利系の桃井氏が中期以降、桃井郷を中心に勢力を伸ばした。この桃井氏は、当村東部の山子田御掘の居館に至って地内を流れる午王頭川水系を掌握する一方、山野と耕地との境界に長大なシシドテを築いて勧農に努めた。
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