事件前の東南アジア情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 21:54 UTC 版)
「メナム河事件」の記事における「事件前の東南アジア情勢」の解説
1622年(元和8年)、コルネリス・ライエルセン率いるオランダ・イギリス連合艦隊がマカオを襲撃した(マカオの戦い)。これを撃退したものの、再度の襲来を恐れたマカオのポルトガル人は、マニラのフィリピン総督に援兵を求めた。命を受けたドン・フェルナンド・デ・シルバの船団が救援に赴いたところ、ゴアからの来援もあって援軍の必要も無くなったため、シルバはシャムのメナム河に向かった。 シルバの船団は同地に滞在していたが、1624年(寛永元年)、在留日本人とオランダ人との間に紛争が生じた。この時にシルバはシャム国王の近衛隊に襲撃され、船員たちは捕えられ、中には殺害された者もいた。
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