亀有溜井の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 15:03 UTC 版)
1593年(文禄2年)、利根川東遷第一次の工事として伊奈忠次は当時の会の川を川俣(羽生市川俣)地点で締切り、利根川を太日川(江戸川下流)に続く庄内川に流下させた。利根川は、中島地先(越谷市中島)で荒川(現在の元荒川)と合流し、小合川づたいに太日川に落とされ、荒川より分流した綾瀬川(垳川)は、猿ヶ俣の締切堤により単独で南流した。この一連の工事により江戸は治水の安定をみて、城下町の整備が進められ、綾瀬川には新宿村に亀有溜井を設け、東西葛西領の用水源となり、新田開発が促進された。
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