乾隆帝の詩文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:46 UTC 版)
乾隆帝はオイラトの一部族であるトルグート部がロシアを離れて自発的に清朝に帰属したことをことのほか喜んだ。乾隆帝はみずからトルグートの来帰を題材とした三篇の詩文を作った。以下はその中の頭韻を踏んだ四行詩である(満洲語原文からの翻訳)。 このトルグート部というもの、これらの先のハンはアユキ(アユーキ)であった、ここに至ってウバシはオロス(ロシア)に背いて、エジル(ヴォルガ)の地から降って来た。全く撫で降らせなかったのに、化に向かったのである(懐柔したのでもないのに皇帝の徳化を慕ってきたのである)、重い(手厚く)恩を及ぼし総で慈しむべきである、逃げたシェレンが改めて求め来たのにより、即ちオロスといったとて何を言いがかりとしよう。 オイラトらは互いに不和なので、以前に戸口を率いてオロスに頼っていった、虐待に耐えきれず故地を想い、オロスを捨てて降って来た。 これらを受け入れなければ賊になる恐れがあると思う、安らかにするので皆我が民となっている、これから先はあらゆるモンゴル部族が、一つとして臣僕にならないものはなくなる。
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