乾徳寺_(名古屋市瑞穂区)とは? わかりやすく解説

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乾徳寺 (名古屋市瑞穂区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 14:21 UTC 版)

乾徳寺
所在地 愛知県名古屋市瑞穂区牧町1丁目35
位置 北緯35度7分37.55秒 東経136度55分50.21秒 / 北緯35.1270972度 東経136.9306139度 / 35.1270972; 136.9306139座標: 北緯35度7分37.55秒 東経136度55分50.21秒 / 北緯35.1270972度 東経136.9306139度 / 35.1270972; 136.9306139
山号 蓬雲山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦牟尼如来
創建年 文禄2年(1593年
開山 東叔紹披
正式名 蓬雲山乾德禪寺
別称 蓬雲山乾徳寺
法人番号 5180005001252
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乾徳寺(けんとくじ)は愛知県名古屋市瑞穂区牧町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号蓬雲山(ほううんさん)[1]。本尊は釈迦牟尼如来[1]妙心寺[2]

歴史

文禄2年(1593年)、尾張国名古屋の伝馬町(現・熱田区伝馬町)で開創したと伝わる[1]開山東叔紹披は加藤隼人佐資景[3]の男で、悟渓派の人物であったという[1]。また、「尾張志」などによれば天正5年(1577年)、尾張国丹羽郡楽田村(現・犬山市)で明久という僧によって創建され[2]寛永16年(1639年)に今道町(現・伝馬町))に移って加藤是心により再興されたともいう[2]。また「尾張名所図会」は慶長年間(1596年 - 1615年)に創建されたと伝え、江戸時代初期には後に見性寺瑞龍寺の勧請開山を務めた紹省三霊(三霊禅師)が住持であったとも伝わる[4]

かつては塔頭として揚屋軒があったが、寛延2年(1749年)に廃絶した[2]

近代

1915年大正4年)に刊行された「名古屋市史 社寺編」によれば、明治時代には271坪余の境内をもち、この頃の本尊は阿弥陀如来であった[2]1945年昭和20年)、名古屋大空襲によって全山を焼失。1953年(昭和28年)に熱田区から瑞穂区の現在地へ移転した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 瑞穂区の歴史(1985)、pp201 - 202
  2. ^ a b c d e 社寺編(1915)、pp560 - 562
  3. ^ 熱田の権益を持っていた人物と見られ、信長からの判物が残る。
  4. ^ 佐々木 一 (2012年6月13日). “歴史こばなし 第322回 越伝和尚”. 菰野町. 2015年5月21日閲覧。

参考文献

外部リンク




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