主の祈りの教会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 主の祈りの教会の意味・解説 

しゅのいのり‐の‐きょうかい〔‐ケウクワイ〕【主の祈りの教会】

読み方:しゅのいのりのきょうかい

Church of the Pater Nosterパレスチナ地方古都エルサレム東部オリーブ山にある教会イエス=キリスト弟子たちに神への祈り教えたという場所に建ち内部壁面には神への祈り世界各国言葉記されている。4世紀古代ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母ヘレナにより創建現在の建物19世紀再建されたものだが、敷地内洞窟にかつての教会遺構がある。


主の祈りの教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 09:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

座標: 北緯31度46分41.08秒 東経35度14分42.69秒 / 北緯31.7780778度 東経35.2451917度 / 31.7780778; 35.2451917

主の祈りの教会の正面
「主の祈り」を様々な言語で表示
日本語の「主の祈り」(主の祈りの教会、エルサレム)

主の祈りの教会(しゅのいのりのきょうかい、英語: Church of the Pater Noster)は、カトリックカルメル会に属する修道院と以前のエレオナ教会で、イスラエルエルサレム旧市街のすぐ東のオリーブ山にある。100以上の言語で「主の祈り」の銘板に掲げられている所として知られている。

歴史

現在の主の祈りの教会は、4世紀のコンスタンティヌス1世の時代に建てられたキリストの昇天した所のバシリカ跡に隣接して立っている。建物は彼の母ヘレナによってエルサレム旧市街のすぐ東のオリーブ山に建てられて [1]、「使徒たちの教会」を名付けられている。エウセビオスもこの教会がキリストの昇天があった洞窟に建てられたといっている。このビザンチン時代のエレオナ教会(エレオナはギリシャ語で「オリーブの森」の意味)は、614年にペルシャ人により破壊された。

十字軍時代には、ここが「主の祈り」の教えに関連した施設となった。1106年には小聖堂が建てられて、1152には教会が建設されたが、1187年にアイユーブ朝サラディンによるエルサレム攻囲により破壊されてその後、徐々に忘れられて、1345年までには廃墟となった。

近代になり、1851年には教会跡の石は近くの墓地の石として売られてしまった。19世紀後半になると、教会の土地はフランスラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の所有となり[2]、エロイーズ・ドゥ・ボッシ(Héloïse de la Bossi)により1872年にはカルメル会の修道院が完成している。

1910年にはキリストの昇天があった所の聖なる洞窟が発見されて、1915年には修道院の建物を移動してビザンチン時代の教会の再建が始まったが、1927年には資金不足で建設を中止している。

現在

現在は、回廊、修道院の教会、未完成のエレオナ教会のには、世界の100を超える言語で「主の祈り」の銘板が掲げられている。

脚注

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「主の祈りの教会」の関連用語

主の祈りの教会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



主の祈りの教会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの主の祈りの教会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS