丸物入社後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:39 UTC 版)
帰国後、はじめて丸物の経営に携わった。さっそく1950年4月の株主総会で取締役に就いたが、父は病気のため仕事ができず、代役を務めた当時の常務はかなり苦心していた。この反省で商法の知識をよく学び、後年近鉄グループからやってきた橋本達吉(後述)に法学部出身だと勘違いされるまでになる。当時、丸物は出店して3年ばかりの舞鶴支店の閉鎖などがあったが、順調に多店舗展開を行い、民衆駅として建設された池袋駅に東京丸物を出店するまでに至った。しかし、1960年(昭和35年)3月24日、京都府立医科大学附属病院に入院していた父・中林仁一郎が亡くなり、リーダーを失った。
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