中村和夫_(実業家)とは? わかりやすく解説

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中村和夫 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 00:15 UTC 版)

なかむら かずお

中村 和夫
生誕 1927年3月18日[1]
日本 北海道[1]
死没 (2017-12-02) 2017年12月2日(90歳没)[2]
職業
肩書き 有限会社中村畜産 代表取締役
配偶者 中村 正子[1]
子供
  • 中村 ふじ子(長女)[1]
  • 中村 好子(次女)[1]
  • 中村 伊三美(長男)[1]
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中村 和夫(なかむら かずお、1927年3月18日[1] - 2017年12月2日[2])は、日本競走馬生産者馬主

北海道新ひだか町(旧三石町)にある有限会社中村畜産代表取締役を務めた。ケイアイファーム取締役で一口馬主クラブのロードホースクラブ元代表の中村伊三美は長男[3]

経歴

1927年北海道出身[1]1946年自営業として木材運搬業を開業し、1953年より家畜商1964年に中村畜産を設立した[1]。競走馬生産者としては、日本種牡馬としてミルジョージを導入した[3]人物として知られる。「種牡馬は血統と馬体が良ければ成功する可能性がある」と語り[3]、重賞未勝利の種牡馬ゴールドヘイローから重賞4勝馬のトウケイヘイローを生産した。

馬主活動

中村の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は緑、桃二本輪、桃袖緑二本輪、冠名には札幌市東区にあるモエレ沼公園に隣接する自らが経営する札幌モエレ健康センター、およびホッカイドウ競馬の存続を願って「燃えろ(れ)」の意味も込めているとされる[4]「モエレ」を用いた。競り市では高額馬も厭わずに落札し、「日高のドン」と呼ばれていたという[5]。またホッカイドウ競馬の衰退による馬産地の影響を危惧し、所有馬の多くをホッカイドウ競馬よりデビューさせていた[5]

1970年代には、ハギノカムイオー日隈広吉と、同時期に活躍したサルノキングを猿丸進晤、橋本善吉と共有していた。

主な所有馬

重賞競走優勝馬

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『現代人物事典』出身県別 東日本版 92頁
  2. ^ a b 平成30年7月10日発行札幌馬主協会 「北の蹄跡」(通巻第62号)24頁 会員の異動「おくやみ」欄より (PDF)
  3. ^ a b c 偉大なるホースマン中村和夫の夢の結実=地味血統トウケイヘイローが良血打倒だ”. スポーツナビ (2013年10月22日). 2022年2月15日閲覧。
  4. ^ 道営競馬で北のモエレ軍団が今年も燃える”. 北海道日刊スポーツ (2006年3月31日). 2006年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月15日閲覧。
  5. ^ a b 後藤正俊 (2006年4月1日). “道営競馬を支えるモエレ軍団”. 馬産地往来. 一般社団法人日本競走馬協会. 2023年12月30日閲覧。

参考文献

  • 『現代人物事典』出身県別 東日本版(サン・データ・システム、1980年6月)



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