中川忠勝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中川忠勝の意味・解説 

中川忠勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/14 18:55 UTC 版)

 
中川 忠勝
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 寛永6年9月15日1629年10月31日[1]
別名 半左衛門
官位 従五位下、伊勢守
幕府 江戸幕府 使番山田奉行
主君 織田信雄豊臣秀吉徳川家康
氏族 中川氏
父母 父:中川重政、母:渡辺覚右衛門の娘
兄弟 光重忠勝、禅海院
長勝[2]、光重、娘(渡辺正の妻)
テンプレートを表示

中川 忠勝 (なかがわ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将旗本

略歴

初めは織田信雄に仕え、後に豊臣秀吉馬廻りとなった。

慶長5年(1600年)7月2日、会津征伐のため家康のもと、浅野幸長福島正則黒田長政らとともに江戸城へ入り[3]、その後小山へ随行した後、関ヶ原の戦いの本戦において首級を挙げた[1]。戦後は美濃国可児郡羽栗郡で3000石を領し、使番となり、大坂の陣にも従軍した。寛永5年(1628年)に山田奉行となり、従五位下・伊勢守に叙せられた。

寛永6年(1629年)9月15日、伊勢国山田で死去[1]

脚注

  1. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』第3輯 巻第四百九十七
  2. ^ 伯父で加賀藩士の中川光重の娘婿。のち光重の家を継いで加賀藩士。
  3. ^ 日本戦史

参考文献

  • 日本戦史 関原役(1911、517p)
  • 寛政重修諸家譜』第3輯(国民図書、1923年)巻第四百九十七、p.611-612



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  中川忠勝のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中川忠勝」の関連用語

中川忠勝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中川忠勝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中川忠勝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS