中島ファラン一生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 13:36 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 | イッセイ・モーガン・ナカジマ-ファラン Issey Morgan Nakajima-Farran |
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カタカナ | ナカジマ ファラン イッセイ | |||||
ラテン文字 | Issey NAKAJIMA-FARRAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1984年5月16日(40歳) | |||||
出身地 | アルバータ州カルガリー | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1994 | ![]() |
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1995-1997 | ![]() |
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2000-2002 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003 | ![]() |
0 | (0) | |||
2004-2006 | ![]() |
45 | (26) | |||
2006-2007 | ![]() |
44 | (13) | |||
2007-2009 | ![]() |
46 | (8) | |||
2009-2011 | ![]() |
55 | (9) | |||
2011-2012 | ![]() |
23 | (4) | |||
2012-2013 | ![]() |
10 | (1) | |||
2013 | →![]() |
15 | (3) | |||
2014 | ![]() |
5 | (2) | |||
2014 | ![]() |
13 | (0) | |||
2015 | ![]() |
2 | (2) | |||
2015-2017 | ![]() |
61 | (32) | |||
2018 | ![]() |
13 | (7) | |||
2019 | ![]() |
17 | (1) | |||
2021 | ![]() |
12 | (3) | |||
2021-2023 | ![]() |
39 | (24) | |||
通算 | 400 | (135) | ||||
代表歴 | ||||||
2006-2016 | ![]() |
36 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |

中島 ファラン 一生(なかじま ファラン いっせい、Issey Morgan Nakajima-Farran、1984年5月16日 - )は、カナダ・カルガリー出身の元プロサッカー選手、画家。元カナダ代表。現役時代のポジションはFW、MF。
来歴
クラブ経歴
カナダにてイギリス人と日本人の両親の間に生まれる。3歳のときに日本へ移住し、少年時代を過ごす。この間にサッカーを始め、ヴェルディ川崎(当時)のジュニアチームに所属した。その後一家はイギリスのロンドンへ移住し、彼自身はクリスタル・パレスFCのジュニアユースで11歳から14歳までプレーした。
2000年に日本へ戻り、ヴェルディのユースに所属していたがプロ契約には至らず、2003年にアルビレックス新潟へ入団した。2004年にアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍し、2年連続で2ケタ得点をマークして2005年の最優秀若手選手賞に選ばれるなどSリーグのスター選手となる。
2006年にはデンマークへ渡り、スーペルリーガ(トップリーグ)のヴェイレBKへ移籍。ヴェイレBKでは2006-2007シーズン、2ケタ以上の得点を挙げる活躍を見せた[注 1]。2006-2007シーズン終了後、チームの降格に伴い中島はかつて川口能活が所属したFCノアシェランに移籍することになった。そして2009-2010シーズンには同リーグからファーストディビジョン(2部)へ降格したACホーセンスに移籍し、弟のパリスと一緒にプレーする事になった。
2011年8月、ブリスベン・ロアーFCへ完全移籍[2]。同年のAリーグで優勝を果たしたが、中島は翌2012年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)には、外国籍選手の制限[注 2]により出場できなかった。
2019年3月5日、新しく創設されたカナダ・プレミアリーグのパシフィックFCに加入[3]。
その後、COVID-19パンデミックを機に妻と子供が住むバルセロナ県クベジェスに渡り[4]、2021年3月17日、リェイダ県タラガにあるプリメーラ・カタラナ(スペイン7部)のUEタラガに加入[5]。翌2021-22シーズンから当初プレーする予定であったセゴナ・カタラナ(スペイン8部)のCFクベジェスに加入[6]。2022年7月4日には契約を更新した[7]。
2023年4月17日、現役引退が発表された[8]。
代表経歴
中島にはイギリス、日本、カナダのいずれの国籍も選ぶ権利があった[9]。2005年にカナダ国籍を選択した[9]が、2006年9月の雑誌『Yeah』でのインタビューによると、まだ日本国籍であり本人も「チャンスがあれば日本代表でプレーしたい」と語っていた。しかし、2006年11月にカナダ代表に招集され、11月15日のハンガリー代表との親善試合に出場したため、日本代表としてプレーする可能性は無くなった[注 3]。2008年5月31日のブラジル代表との親善試合では、先発出場を果たした。カナダ代表としての初ゴールは同年6月15日に行われたW杯南アフリカ大会・北中米カリブ海予選の2次予選第1戦で、セントビンセント・グレナディーン代表を相手に決めている。
プロ選手引退後
2024年3月にキングス・リーグに参戦するラージョ・デ・バルセロナに13人目の選手として加入した[11]。
2025年1月6日に北海道コンサドーレ札幌に通訳としてスタッフ入りしたことが発表され[12]、翌7日には遅れてキャンプに合流したジョルディ・サンチェスに同行していることが報道された。東京ヴェルディユース時代の同期である菅野孝憲から「外国人選手たちがチームにちゃんとなじむためにサッカーカルチャーを知っている通訳が必要」と聞いて札幌入りを決意したと語っている[13]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 新潟 | 27 | J2 | 0 | 0 | - | |||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 新潟S | Sリーグ | 22 | 12 | 2 | - | |||||
2005 | 23 | 14 | 1 | - | |||||||
デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005-06 | ヴェイレ | 1.Div | |||||||||
2006-07 | スーペルリーガ | 29 | 6 | ||||||||
2007-08 | ノアシェラン | 7 | |||||||||
2008-09 | |||||||||||
2009-10 | ホーセンス | 1.Div | |||||||||
2010-11 | スーペルリーガ | ||||||||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | ブリスベン | 11 | Aリーグ | ||||||||
通算 | 日本 | J2 | 0 | 0 | - | ||||||
シンガポール | Sリーグ | 45 | 26 | 4 | 3 | - | 49 | 29 | |||
デンマーク | スーペルリーガ | 59 | 13 | ||||||||
デンマーク | 1.Div | ||||||||||
オーストラリア | Aリーグ | ||||||||||
総通算 |
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 39試合 1得点(2006年-2016年)[14]
カナダ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 1 | 0 |
2007 | 7 | 0 |
2008 | 8 | 1 |
2009 | 3 | 0 |
2010 | 4 | 0 |
2011 | 1 | 0 |
2012 | 0 | 0 |
2013 | 7 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 4 | 0 |
2016 | 1 | 0 |
通算 | 39 | 0 |
タイトル
- 2005年 Sリーグ年間最優秀若手選手賞
画家として
13歳の頃に足首を骨折し夏休みの期間中サッカーができなくなった時に、父親に「動けないなら絵でも描いたらどうだ?そこにあるピーマンを描いてみろ」と言われたことがきっかけで絵を描き始め、学校でアートやデザインを学んだ。デンマークでプレーしていた頃に友人やカフェなどから絵を描くことを頼まれるようになり、ギャラリーやチャリティーイベントからもオファーが来るようになった[15]。
その後カナダでプレーしていた時期にはマルコ・ディ・ヴァイオの引退試合セレモニーでコラボレーションを行い、ジュリアン・デ・グズマンの記念セレモニーに絵を贈呈している[15]。
また、マーロン・ブランドからジョーカーまで多岐にわたる肖像画を描いている[4]。
私生活
- 父親はローデシア生まれのイギリス系カナダ人であり、演劇をしながらレストランを経営していた[4]。また、母親は日本人でデザイナーをやっていた[15]。
- サッカー選手の中島ファランパリスは弟。
- カナダプロサッカー選手会 (PFA Canada) の副会長を務めている[16][4]。
- バンクーバー島に本拠地のあるパシフィックFCに在籍していた時期に居住用にヴィンテージの15mの木造船を購入した。また、バルセロナでは海の見えるアパートを希望していたものの家賃が法外だったことから古い船を購入して改装した[4]。
脚注
- 注釈
- ^ この中島の活躍がきっかけとなり、2006年12月12日に長居第二競技場で行われた第一回Jリーグ合同トライアウトにヴェイレBKの監督であるキム・ポウルセンが足を運んでスカウティングを行うなど[1]、彼に続いてデンマークで日本人が外国籍選手としてプレーする可能性が、新たに切り開かれつつある。2007年1月には中島同様にアルビレックス新潟シンガポールでプレーしていた橋本卓がヴェイレBKと契約した。
- ^ ACLにはAFC加盟国の選手を含めた4人の外国籍選手が出場できる。ブリスベンは、ベサルト・ベリーシャ(アルバニア)、エンリケ(ブラジル)、トーマス・ブロイヒ(ドイツ)、サイード・モハメド・アドナン(バーレーン)の4名を登録した。
- ^ FIFA規定では2カ国以上の国籍を持つ選手が、A代表に一度も招集されていない場合、以前は21歳以下の選手のみ1回だけ国籍変更が認められていたが、2009年6月のルール改定で21歳以上の選手にも同様の国籍変更の手続きを取ることが可能になっている[10]。
- 脚注
- ^ http://j-leaguers.net/news/news.php?200612;1684
- ^ Brisbane finalise squad
- ^ 『Pacific FC adds globe-trotting Canadian international Issey Nakajima-Farran』(プレスリリース)パシフィックFC、2019年3月5日 。2025年1月7日閲覧。
- ^ a b c d e Neil Davidson (2023年6月6日). “Former Canadian international plans next step from aboard his floating home in Spain”. The Canadian Press via Times Colonist. 2025年1月7日閲覧。
- ^ Francesc Gasull Cairó (2021年3月17日). “Un internacional canadenc, a la UE Tàrrega” (カタルーニャ語). Nova Tàrrega. 2025年1月7日閲覧。
- ^ “El primer equip del C.F. Cubelles tornarà a competir aquest dissabte” (カタルーニャ語). Radio Cubelles (2021年3月24日). 2025年1月7日閲覧。
- ^ “Issey Nakajima seguirà una temporada més al C.F. Cubelles” (カタルーニャ語). Radio Cubelles (2022年7月4日). 2025年1月7日閲覧。
- ^ “Former Canada player Issey Nakajima-Farran retires from professional football”. カナダサッカー協会 (2023年4月17日). 2025年1月7日閲覧。
- ^ a b “東京Vユース出身のカナダ代表MF中島、日本戦に興奮!”. スポーツニッポン. (2013年3月22日) 2013年7月19日閲覧。
- ^ http://soccernews.livedoor.biz/archives/50247038.html 2009年6月4日10時03分 読売新聞
- ^ “Tremendo jugador 13 para el Rayo de Barcelona” (スペイン語). Mundo Kings League (2024年3月9日). 2025年1月7日閲覧。
- ^ 『2025北海道コンサドーレ札幌 選手・チームスタッフ決定のお知らせ』(プレスリリース)北海道コンサドーレ札幌、2025年1月6日。
- ^ “【札幌】1次キャンプ地沖縄入り スペインからの来日が遅れたFWジョルディ・サンチェスも合流”. 日刊スポーツ (2025年1月7日). 2025年1月7日閲覧。
- ^ 中島ファラン一生 - National-Football-Teams.com
- ^ a b c 蹴球 ふつつか (2016年5月9日). “中島ファラン、サッカー選手兼アーティストという一生”. Qoly. 2025年1月7日閲覧。
- ^ “board and staff”. PFA Canada. 2025年1月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 中島ファラン一生 - National-Football-Teams.com
- 中島ファラン一生 - Soccerway.com
- 中島ファラン一生 - FootballDatabase.eu
- 中島ファラン一生 - WorldFootball.net
- 中島ファラン一生 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 中島ファラン一生 - FIFA主催大会成績
- 中島ファラン一生 - メジャーリーグサッカー
- Issey Nakajima-Farran official site
- Vejle Boldklub - Player Profile
- Issey Nakajima-Farran (@isseynfarran) - X(旧Twitter)
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