下総・古河城主とは? わかりやすく解説

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下総・古河城主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 04:19 UTC 版)

上杉憲栄」の記事における「下総・古河城主」の解説

憲栄下総国古河城主でもあった。『関八州古戦録』には、弘和2年/永徳2年1382年)、小山義政下河辺荘拠点であった古河城攻め寄せた際(小山義政の乱)、「この城は上杉左近将監憲栄目代・下河辺三郎朝行と云うものが100騎ほどで守っていたが、2,000騎もの大軍相手にして戦い落城した」とある。『古河志』では『北越軍談』を引用して総州古河城主・応安の人と紹介し、さらに山内上杉氏庶流だが、鎌倉府ではなく京都室町幕府仕えたとしている。古河城周辺は、小山義政の乱の後に鎌倉府御料所となるが、この時期京都室町幕府所領であったことが分かる

※この「下総・古河城主」の解説は、「上杉憲栄」の解説の一部です。
「下総・古河城主」を含む「上杉憲栄」の記事については、「上杉憲栄」の概要を参照ください。

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