上杉禅秀の乱による犬懸上杉家滅亡
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「千坂信高」の記事における「上杉禅秀の乱による犬懸上杉家滅亡」の解説
上杉禅秀の乱は応永23年(1416年)10月2日に前関東管領・犬懸上杉家 上杉氏憲が鎌倉公方・足利持氏の居館を急襲し、駿河国へ追ったことに端を発する。 この日、上杉氏憲が犬懸上杉家家臣とともに蜂起した様子は「鎌倉大草紙」に書かれているが、蜂起部隊陣容に嫡子・舎弟の名に続いて千坂駿河守の名があり、名前の順序(家臣筆頭)からみて、これが上総 守護代を務めていた千坂信高とみられる。 結局、反乱は失敗して応永24年(1417年)正月10日、上杉氏憲は鎌倉で自害し、犬懸上杉家は滅亡した。 この滅亡によって、犬懸上杉家の史料が残らず、被官の動向も分からなくなった。
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