上保谷村とは? わかりやすく解説

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上保谷村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/14 04:46 UTC 版)

かみほうやむら
上保谷村

尉殿神社の石燈籠
廃止日 1889年4月1日
廃止理由 新設合併
上保谷村下保谷村
上保谷新田村保谷村
現在の自治体 東京都西東京市
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
新座郡
隣接自治体 埼玉県新座郡下保谷村
上保谷新田村小榑村
東京府北多摩郡田無村
北豊島郡関村
上保谷村役場
所在地 埼玉県新座郡上保谷村
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上保谷村(かみほうやむら)は、かつて埼玉県新座郡に存在した。1889年(明治22年)、町村制施行に際して廃された。その後、旧村域は北足立郡を経て、東京府北多摩郡に編入されている。

現在の東京都西東京市東南部(住吉町泉町中町富士町保谷町東伏見柳沢、およびひばりが丘北栄町の一部)に相当する。

地理

上保谷村は新川沿いに開けた集落である。新川の水量は少ないため、水田は少なく畑が多かった。

歴史

村の起源は明らかでないが、伝承では、1081年永保元年)に新倉の住人板倉四郎左衛門のもと保谷・下田・岩崎・中村・野口・桜井の六氏(保谷六苗)により開発されたとされている[1]。初期の村域は現在の住吉町・泉町地域だったと考えられ、村の惣鎮守の尉殿権現(現尉殿神社)や保谷四軒寺と呼ばれる寺院もこの地域に集中している。

その後、享保期(1716年 - 1735年)以降に現在の新町の地域が開墾され、後に上保谷新田村として独立した。なお、江戸期、村は3つの組に分かれ、それぞれに名主と組頭を置き、村内の有力農民が交代でこれらの役に就いていた[2]

年表

寺院・神社

史跡

  • 下野谷遺跡 (旧石器時代、縄文時代の遺跡)
  • 東伏見稲荷神社遺跡 (旧石器時代、縄文時代の遺跡)

脚注

  1. ^ 東京都の地名 P1002
  2. ^ 東京都の地名 P1005

参考文献

  • 片桐譲『保谷の昔と村人たち』 1999年
  • 下田五郎『田無・保谷の歴史』 2013年
  • 『東京都の地名』平凡社、2002年



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