寶樹院_(西東京市)とは? わかりやすく解説

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寶樹院 (西東京市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 05:11 UTC 版)

寶樹院
本堂(2016年4月)
所在地 東京都西東京市泉町2-7-25
位置 北緯35度44分21.3秒 東経139度33分02.6秒 / 北緯35.739250度 東経139.550722度 / 35.739250; 139.550722座標: 北緯35度44分21.3秒 東経139度33分02.6秒 / 北緯35.739250度 東経139.550722度 / 35.739250; 139.550722
山号 慈光山[1]
院号 寶樹院(寳樹院、宝樹院)
宗旨 新義真言宗[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 薬師如来[1]
創建年 不詳
開山 源空法印[1]
正式名 慈光山寶樹院薬王寺[1]
文化財 一文銭向い目絵馬二枚(西東京市指定文化財)
法人番号 8012705000456
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寶樹院(ほうじゅいん)は、東京都西東京市泉町にある真言宗智山派の寺。宝樹院と記されることもある。

山号慈光山、寺号は薬王寺と号し、本尊には薬師如来を祀る。慈光とは、諸仏・菩薩の大慈の光明を示す。本山は京都市東山区の智積院[2]

如意輪寺寳晃院東禅寺と合わせて保谷四軒寺と呼ばれる(以前は当寺、如意輪寺、寳晃院、西光寺(現総持寺)だったが、西光寺移転後は東禅寺となる)。また、多摩八十八ヶ所霊場の三十四番札所である。境内にある宝篋印塔1655年承応4年)に造られたもので、江戸時代初期の様式をよく表している。また、銭洗弁天坐像は、かつて江戸時代に境内に池があった名残りで、「弁天さま」として親しまれてきたものである[2]

歴史

源空法印(1711年正徳元年)寂)により上保谷村字上宿(現在の住吉町一丁目および泉町一丁目)に開山したと伝えられる。1931年昭和6年)に現在地に移転した。[3]

文化財

一文銭向い目絵馬二枚 - 西東京市指定文化財第41号
「一文銭向い目絵馬」は江戸時代に眼病平癒を願って奉納されたものである。縁日などに奉納された多数の絵馬の内、現存する2枚が当寺に所蔵されている。薬師如来を本尊とし病気平癒を願う信徒の信仰を集めた、寶樹院の薬師信仰を伝える資料でもある。

交通

西武鉄道池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩20分。

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 上保谷村.
  2. ^ a b 保谷ところどころ
  3. ^ 猫の足あと

参考文献

外部リンク




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