三遊亭円輔とは? わかりやすく解説

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三遊亭圓輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 02:05 UTC 版)

三遊亭 圓輔(さんゆうてい えんすけ)は、落語家名跡

橘家圓輔を含めて過去6人存在が確認されている。当代は落語芸術協会のホームページには三代目として記載されている。


三代目 三遊亭 さんゆうてい 圓輔 えんすけ
San'yutei Ensuke the 3rd

三遊亭圓輔定紋「高崎扇」
本名 岡田 おかだ 基之 もとゆき
生年月日 (1932-01-03) 1932年1月3日(93歳)
出身地 日本東京都練馬区
師匠 三代目桂三木助
四代目三遊亭圓馬
名跡 1. 桂木久松
(1958年 - 1959年)
2. 三遊亭まつ馬
(1959年 - 1962年)
3. 三代目三遊亭圓輔
(1962年 - )
出囃子 吾妻八景
活動期間 1958年 -
所属 日本芸術協会
落語芸術協会
公式サイト 三遊亭圓輔 - 落語芸術協会

三代目 三遊亭 圓輔(さんゆうてい えんすけ、1932年1月3日 - )は、東京都練馬区生まれ、浅草育ちの落語家。落語芸術協会所属。本名∶岡田 基之出囃子∶『吾妻八景』。紋∶「高崎扇」。

来歴

戦時中は流山に疎開していた。日本大学芸術学部演劇学科中退。

1958年2月、三代目桂三木助に入門。前座名は桂木久松。翌年10月に師匠の三木助が落語協会に移ったため四代目三遊亭圓馬門下に移り、三遊亭まつ馬と改名。

1962年4月、二ツ目昇進し圓輔と改名。

1974年3月、三遊亭若馬桂枝助と共に真打昇進。

2021年時点で、落語芸術協会では四代目桂米丸に次ぐ現役の高齢落語家となっていた。同年、都内各寄席定席で主任(トリ)を務めた。2022年2023年にも浅草演芸ホール三月中席前半で主任を務める。2024年8月に米丸が死去した事により、東都における現役最高齢の落語家となった[注釈 1]

芸歴

弟子

  • 三遊亭好輔 - プロの落語家ではなく、いわゆる天狗連[1]

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 圓輔よりも年長の落語家として柳家金三(1926年生)がいるが、2024年の時点で落語芸術協会会友となっており、事実上活動から引退状態となっている。なお芸歴としては、年下ではあるが1955年入門の三代目三遊亭遊三(1938年生)、九代目三笑亭可楽(1936年生)がおり、香盤としてはそれに次ぐ形(米丸の死去により芸協内で三番手)となっている。

外部リンク

  1. ^ 三遊亭好輔さんのプロフィールページ




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