三番目の国旗『Blood Stained Banner』とは? わかりやすく解説

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三番目の国旗『Blood Stained Banner』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 15:47 UTC 版)

アメリカ連合国の国旗」の記事における「三番目の国旗『Blood Stained Banner』」の解説

三番目国旗『ブラッド・ステインド・バナー』(血染めの旗)は1865年3月4日連合国崩壊寸前制定されごく短期間使用された。付け加えられた赤い垂直の条は、旗がなびいていないときに白旗間違われないためのものである縦横比は3:4。この旗の提案者であるアーサー・L・ロジャース少佐は、二番目国旗戦場で危険であるとして、議会国旗改定訴えロビー活動行ったロジャースは、垂直の条を赤くしたのは、「ヤンキーの旗」の青と似た部分最大限らすためであり、同時に南軍旗部分X型十字(セント・アンドリューズ・クロス)はスコットランド国旗に、付け加わった赤い条はフランス国旗由来しそれぞれ南部の人々の祖先の地を表すとしている。 アメリカ連合国議会定めた1865年国旗法によれば、「幅は長さ3分の2で、正方形ユニオン南軍旗)を旗の幅の5分の3になるように配しユニオンの横の余った部分長さを、ユニオンの下の余った部分の幅の2倍にするようにする。ユニオン赤地に青のX型配し白でふちどりその上に連合国構成する州の数を表す5つ先端のある星型を飾る。旗全体の地は白で、ユニオン残り長さ半分を幅いっぱいの赤に塗る」、とされている(連合についた州は11州だったが、ミズーリ州ケンタッキー州反対党派連合合流したため、13州とされることもある。南軍旗の星の数は13である)。しかし国旗法通過から、国旗大量生産までの間に連合国戦い敗れて崩壊し人々三番目国旗目にすることはほとんどなかった。 ? 1861年3月4日1861年5月21日 ? 1861年5月21日1861年7月2日 ? 1861年7月2日1861年11月28日 ? 1861年11月28日1863年5月1日 ? 1863年5月1日1865年3月4日 ? 1865年3月4日1865年5月26日

※この「三番目の国旗『Blood Stained Banner』」の解説は、「アメリカ連合国の国旗」の解説の一部です。
「三番目の国旗『Blood Stained Banner』」を含む「アメリカ連合国の国旗」の記事については、「アメリカ連合国の国旗」の概要を参照ください。

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