三町への市神遷座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 13:55 UTC 版)
「館林の牛頭天王信仰」の記事における「三町への市神遷座」の解説
連雀町から興った館林の六斎市であるが、市の規模が大きくなるにつれ、次第に周辺へと開催の場を移し、延宝期ごろまでには竪町、足利町、谷越町の三町が交互に開催するという形式に代わっていった。それに従い、市神として奉斎された牛頭天王も、これらの三町へ遷座したようである。ただし市神遷座の時期については明らかではない。宝永5年(1708年)の『館林町先規の次第覚書』では、当時の夏の天王祭は三町に奉斎された八坂社が主体となって催されているが、一方で後述する、連雀町の市神が借金の質草に取られた一件は、それより後の宝暦7年(1757年)に起こっている。おそらく、市神の遷座は一時になされたのではなく、慶長の頃から市の移動とともに連雀町の市神とは別に三町に牛頭天王が祀られ、徐々に移っていったものと思われる。 三町での八坂神社の場所は以下の通り。
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