三王の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:20 UTC 版)
「アルカセル・キビールの戦い」の記事における「三王の戦い」の解説
十字架を高く掲げるポルトガル軍は、炎熱と兵糧不足に苦しみながら内陸へ進軍したが、スルタン・アブデルマルク(アブド=アル=マリク)は大軍を率いてルコ川沿いのクサル・エル・ケビール(ポルトガル語、アルカセル・キビール)で待ち受けていた。8月4日両軍は会戦し、ポルトガル軍は優勢なモロッコ軍に押されたものの、火器の力で盛り返した。だが、セバスティアンの稚拙な作戦のため、退いたモロッコ軍を深追いし、モロッコ騎馬の伏兵による奇襲を受け、大損害を出して敗北を喫した。 この戦いでモロッコの前スルタン・ムハマッド(ムタワッキル)は戦死し、セバスティアンも行方不明となった。捕虜にもなっていないことから戦死と見られる。また勝利したモロッコのスルタンも戦死しており、「三王の戦い」とも呼ばれる。
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