三戸寿 (法学者)とは? わかりやすく解説

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三戸寿 (法学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 00:04 UTC 版)

三戸 寿(みと たもつ、1908年明治41年〉1月17日[1] - 1971年昭和46年〉8月27日[2])は、昭和日本法制史学者。学位は法学博士京都大学)。「三戸壽」とも表記される。法制史学会発起人の1人。専門はローマ法[3]。神戸史学会評議員[4]、法制史学会理事[5]を歴任。

来歴

宮城県仙台市出身[2]第二高等学校 (旧制)1928年卒業)を経て、1931年東北帝国大学法文学部を卒業した[2]。同年に同学部副手となる[2]1937年関西学院大学法文学部講師に転じ、助教授(1939年)を経て、1942年に教授に就任した[2]1947年に学部改編で法学部所属となり、1951年に法学部長・同大学院法学研究科委員長に就任した[2]1952年2月、京都大学より論題「ローマ法継受史の研究」で法学博士の学位を取得した[6]

1957年、病気を理由に関西学院大学を退職する[2]大阪市立大学法学部非常勤講師(1957年度)を経て、1958年金沢大学法文学部教授となる[2]1971年8月27日、金沢大学在職中に死去した[2]

著書に『近代法成立史序説』(國立書院 1948年)がある。

脚注

  1. ^ 『全日本紳士録』(昭和38年版)人事興信所、1963年5月、み之部12頁。NDLJP:3041223/708 
  2. ^ a b c d e f g h i 「故三戸寿博士略歴」『金沢法学』第18巻1・2号、金沢大学人間社会研究域法学系、1973年12月、1頁、国立国会図書館書誌ID:427482 
  3. ^ 『金沢法学』第18巻1・2号 1973, p. 4.
  4. ^ 『全日本紳士録』(昭和28年版)人事興信所、1952年12月、み之部7頁。NDLJP:3007847/436 
  5. ^ 『全日本紳士録』(昭和40年版)人事興信所、1965年8月、み之部14頁。NDLJP:3041322/842 
  6. ^ 三戸寿『ローマ法継受史の研究』(法学博士論文)京都大学、1952年2月22日。国立国会図書館書誌ID: 000010618581 



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