三国・魏晋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:06 UTC 版)
三国時代には、魏・蜀・呉全てに丞相が置かれた。蜀に諸葛亮が1人だけ就任した。諸葛亮の死後、丞相職は置かれなかった。ただし、蔣琬と費禕は大将軍や録尚書事などの高官職を全て兼務して丞相とほぼ同じ職権を有していた。呉では丞相職が長い間置かれていたが、主に顧問の役割を果たし、その実権は上大将軍・大将軍・大司馬の軍職が継承した。魏ではその始祖の曹操自身が丞相と呼ばれていて、丞相が長い間置かれず、後期になって司馬懿が丞相に任ぜられたが固辞している。後にその子の司馬昭が相国に任ぜられ、司馬昭の子の司馬炎がこれを継いだ。司馬炎はこれを足がかりに魏王朝を禅譲(簒奪)した。
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