ヴィシー・フランスでの位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 17:36 UTC 版)
「元帥よ、我らここにあり!」の記事における「ヴィシー・フランスでの位置づけ」の解説
占領下フランスにおいて広く歌われ、録音としては映画俳優のアンドレクス(フランス語版)とアンドレ・デサリー(フランス語版)によるものが特に知られる。演奏はマルセル・カリヴェン(英語版)のオーケストラで、レコードはパテからリリースされていた。 ヴィシー・フランスにおいても、『ラ・マルセイエーズ』は依然として国歌と位置づけられ、その重要性は維持されていたが、これは国家の象徴を放棄しないというヴィシー政権の姿勢を抵抗運動勢力(英語版)に示すためだった。ただし、法律上は国歌と明言されていない。南仏では『ラ・マルセイエーズ』が引き続き演奏されたものの、北仏では占領当局によって禁止されており、やがては『元帥よ、我らここにあり!』がヴィシー・フランスの非公式な国歌とみなされるようになった。ラジオ・パリ(フランス語版)やラジオディフュージョン・ナシオナル(フランス語版)でも定期的に放送された。いわゆる第二フランス植民地帝国(フランス語版)各地でも同様に演奏された。学校や青年キャンプ、兵舎や民兵団の集会でも演奏が行われた。
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